郷愁のマレーシア

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マレーシアのアロー通りからブキット・ビンタンの駅へ向かっている途中に何故か吸い寄せられるようにとある店に入った。
店内を物色すると
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うぁあ〜!懐かしい❗❗❗
これは私が子供の頃、家に大量にあった『ギャズ』という名前のイランのお菓子。
45年くらい昔、このピスタチオ入りの白いお菓子がどっさりあった。

ここは中近東の物を中心に売るお店らしい。
『ギャズ』は砂糖とメレンゲとローズウォーターで作るヌガーとマシュマロの間のようなお菓子。ピスタチオの香ばしさが効いていて、ローズの甘い香りが蘇る。
アルコールが御法度の国だから、『ギャズ』などのお菓子と共に紅茶を何度も入れて飲みながら話すのだと聞いていた。
雑然としたこのお店は観光土産物屋ではなく、在住者用の店らしい。
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私の父は中近東がメインの貿易会社をしていた。 イラン、ヨルダン、イラク、クエート、レバノン、サウジアラビアの国名をよく聞いた。子供の頃はしょっちゅうヒゲの濃い、香水の匂いのする外国人がうちに来て、これらのお土産をどっさり持ってきてくれて、この「ギャズ」が絶える日がなかった。
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ピスタチオも大量に有った。その頃のピスタチオはもっと大粒で、赤い色の梅干しのような味つけを施してあり、濃厚で美味しかったな〜。
シーシャの器具もうちにゴロゴロ有った。その頃は何に使うのか知らなかったし、父はなにか怪しい事してるんだろうかとも思っていた。
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今思えば、ホメイニ師の絵柄のシーシャも有ったな〜ww。

店の棚には葉巻の葉やカルダモン、サフラン、ローズ水、ランプ、器…店内は懐かしいもので溢れている。。
店番の男の子は、女の子のように可愛い顔の色の白い男の子。
あれ?濃い顔ではないな…?

なんと彼はシリア人とのこと…
思わず胸が痛くなる。シリアといえば今も内戦が深刻な状態の国。つい数日前も、TVニュースの情報にため息をついていたところだ。
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アレッポの石鹸だ!まだ工場は健在なんだ!
よし、買おう!頑張れアレッポ!

彼も私のような客が珍しいらしく 「どこの国の人?え?日本?なんで『ギャズ』を知ってるの?」と聞いてきた。
イランは彼にとっては口にしない方がいいな…と思い、「子供の頃によく食べたお菓子なの」とだけ返事をした。

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父のお土産といえば、極小モザイクの木の箱や、彫刻やらトルコブルーの器やら…ちょっと宗教的な柄も多くて嬉しくもなんともなかったけれど、 子供心に、カスピ海のキャビアは最高に美味しかった。蓋が浮くぐらい大量に入っていて、ありがたみも分からずに豪快に食べていたなぁ。 大人になってから食べたキャビアはあの時のものとは味も量も満足できない。

そういえばヒゲの紳士から小さい私の指に合う指輪やブレスレットなどを沢山もらったが、黄金色が恥ずかしくて着けられなかった。
父と彼らはうちの家で美味しそうに酒を飲んでいたし、出張の際には、中にお酒を忍ばせた特製のチョコレートをスーツケースに入れていたっけ。今思うと、本当に大事なパートナーで大事な友達だったのだろう。
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うちの母は突然のイスラム教徒のお客様にハラールに徹底したお料理を出し、私もその手伝いしてきた。 その頃は日本にハラールなんて浸透していなかった。なんだか豚が駄目らしい、今はご飯を食べてはいけないらしい…と不思議な風習の国があるんだなと漠然と思っていた。

まだ弟が産まれたばかりの時、父は突然商社を辞めてきた。 その後、単独で中東を開拓し貿易会社を立ち上げた。
日本で入院させたいとイランから病人を連れてきたり、家に何日も居候がいたり、突然お祈りが始まったり。恩人の息子の結婚式の為に夫婦でアメリカへ向かったり。幼い私は意味が分からないながらも中近東の文化の一部を肌で感じていた。
彼らからは、私達の住まいがあまりにも狭くて何度も露骨にビックリされた。その時代、日本と交易するような彼らはお城のような大豪邸に住んでいたらしい。

「え?家はこれだけですか?」と真顔で聞かれたり、マンションの非常階段に、靴が揃えて脱いであったり(日本の家では靴を脱がなくてはいけないと前知識があったが、マンションのどこからが家なのかがわからなかったらしいw)

私の父も、彼らの国でほんとうに手厚くもてなしてもらっていた。支払いが1年サイトの博打的な交易。1年持たさなければ奈落の底。そんなタイトロープなビジネスを続けていくにはよほどの信頼関係を築く力があるか、楽観的すぎるか、いずれにしても小さな会社がやるサイズではなかったはず。

 

その後、国の情勢は悪化し、II戦争の時、父は講演会までしていた記憶がある。
一流商社から、「いったいどうやってこんな情勢で交易を続けていられるのか教えて欲しいと」度々依頼があったらしい。

そして、もっともっと深刻になり父はあの頃にこだわり続けて、我が家は崩壊に至るのだ(笑)
その後が大変すぎて、私は長年中近東を記憶から抹殺してしまっていた。

ボルト&ナットの輸出で一時は名を馳せた父。しかし、一時はそのボルトは戦争の道具に使用されていたかもしれない。
様々な商品サンプルの山、輸入したペルシャ絨毯や更紗の山。人生の殆どを費やして紡いだ絨毯の素晴らしさなんて日本の家庭には不釣り合いだった。父が大量に仕入れた絨毯で埋もれた部屋を思い出すのも嫌だった。
中近東の他にイギリス、台湾、ペルー、シンガポール、マレーシアと交易をしたが、とりわけ中東に拘った父。
その中でも父はイランが大好きだった。
良き時代に味わった人情が忘れられなかったんだろうな。

 

終わりの無い父の執着に家族が途方にくれる頃、
西日本大震災で家が全壊し、全てに終止符が打たれた。

バリ島に住む様になってからか、あの物悲しい音楽や、シーシャの香りを懐かしく思う様になった。
私も挫折を経験し、歳をとったんだな〜。
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そんな時「今年の3月で、父が亡くなってから10年よ」と母から珍しくLINEが届いた。
気持ち悪いくらいのタイミング。
すかさず「今、こんなもの発見したよ」と『ギャズ』の写真を送信する。

 

そして!!お店を出て二つ隣に、イラン料理レストランが目に飛びこんできた…なんだ今日は!?
空腹でもないけれどこうなったらとことん!と決めて入店した。
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この周辺はマレーシアの一等地だし、状況が良い頃に移住してきた富裕層なんだろうか。シリア人もイラン人も祖国を離れた同士でコミュニティを作り助け合っているのかもしれない。
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メニューを眺めていると走馬灯のように巡る、幼い頃の家の中の異国。
あの頃、うちに出入りしていたヒゲの濃い紳士たちも、どこかで気持ちを切り替えているだろうか?
父とあの世で再会を果たしているだろうか?
Mr.ハタミ、Mr.ゲゼルセ、Mr.サバイエ、そんな名前が突然思いだされてきた。
彼らは息子達の行く末を案じて遠い他国へ留学させたりしていたはず。お酒だって飲んでいた彼らは『信じる者は救われない』と見極めて、祖国愛と葛藤していたんだろうな。
アメリカへ移住した家族でさえも『ギャズ』は欠かさず食べていたし。 あ〜、うちに居候していたあの息子さんは今、幸せにやっているかな〜。
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色んな事を思い出す。
あの頃みんな頑張ったなぁ……(涙)

日本にはイランの印象の悪いニュースしか入ってこないが、バックパッカーから『世界で一番人情に厚い国』といわれているらしい。 イランは、もはや危険な国ではないらしい。情報が偏っているのはイランを嫌悪するアメリカを意識したプロパガンダの影響なのかもな。
今回、私がマレーシアでマレー系のイスラム以外を感じたのは初めてだったが、レストランのオーナーに聞くと、マレーシアにイラン人は10万人も住んでいるそうだ。
中近東のみならず、他の駅にはエクアドルの国旗も見られた。マラッカ『海のシルクロード』の時代から他宗教に寛容なのだろうか?全ての宗教が共存している。
混沌とした母国を想い遠く離れたマレーシアにて生きる人々。その人々を受け入れる懐を持つ人種の坩堝、マレーシアをあらためて知った。
そんなマレーシアもカオスだなぁ。

次回はもうちっと勉強してから来よう。今まで、リトルインディアでカレーばっかり食べてたけど反省。

 

サラーム!パパ。 貴方のこだわりを少し理解出来るようになったよ。

 

 

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バリ島でメヘンディ(ヘナタトゥ)のお仕事を7年あまりやらせて頂いています。 インドのモチーフや生地が好きで、エキゾチックな世界観に魅せられています。 バリ島という土地柄、欧米のお客様、バリ、インドネシアのお客様とメヘンディの時間を過ごす時間を楽しんでおります。 どうぞお気軽にお問い合わせください。
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